製品、サービス、労使関係、原材料費、工場設備、資本支出のニーズ、在庫、売掛金、運転資金のニーズ等々の企業の業務内容を知らずに株を買うことは、実に法外なことだ、と彼は言う。
この考え方は、株主に対する企業のオーナーという姿勢に反映されている。
『賢明な投資家』の要約のなかでGは、「投資は最もビジネスライクに行なわれるときこそ最も賢明に行なわれる」と言っている。
Pは、「彼のこの言葉は、かつて投資について書かれたもののなかでも最も重要なもの」と述べている。
株主は、企業のオーナーになるか、取引できる証券の持主になるか、という選択ができる。
単に紙切れを持つだけ、と考える者は、企業の財務諸表からは遠く離れる。
市場で刻々に変わる株価こそ、企業の財務内容よりも正確に株の価値を反映するかのように振る舞う。
株式を、まるでトランプのカードのように売買する。
Pにとっては、普通株の持主と企業経営者とは、密接に結びついている。
ともに、企業の保有を同じように見るべきだ、ということになる。
「私はビジネスマンだからよい投資家であり、またよい投資家だからこそ、よいビジネスマンであり将来、どういうタイプの企業を買うのか、とPはよく聞かれる。
彼は第一に、ありきたりな企業と、信頼の置けない経営者を避けると買うのは、自分が理解できる企業、財務内容に優れ、信頼できる経営者が運営する企業である。
「よい企業は、いつもよい投資対象とは限らない。
しかし、その一群はよい投資対象を探すのによい畑であることには間違いない」Pの投資が成功したかどうかを知るためにPがとる方法は、短期の株価によってではなく、その株式の発行企業の業績によるのである。
株式市場は、短期的にはともかく、時が経てば、その企業の成功、失敗を株価で確認してくれる。
彼は、B・Gが「短期では、市場は投票一マシーンだが、長期には、秤量マシーンだ」と言ったのを記憶している。
彼は辛抱強く待つことをむしろ歓迎する。
事実、Pの業績が、満足できる率で株主の価値を高める方向に進んでいる限りは、株価はまだ動かないほうがよい。
市場が企業の好調な業績を織り込むのが遅れれば、彼にとっては、割安の株を買うチャンスが残るから、というのである。
市場は時に、ある企業がよい投資対象である、というPの考えをいち早く確認することがある。
こういうときにも、彼は、短期の利益が出るからといって売りに回ることはない。
ウォール街の格言でか利喰い千人力。
というのがあるが、これは馬鹿げている。
Fは彼に、「君が持つ投資物件は、現金よりはよいか、あるいは現金より不利かどちらかだ」と教えた。
これに対して彼は「どの証券であろうと、永久に持ち続けることに異存はない。
その企業の事業について、株主資本利益率が長期間にわたって良好と予想され、経営者が有能で正直であり、株価が割高になっていない、これだけの条件が揃っている限りは、そうする」と言っている。
もし、株価が大きく割高になると、売りに出る。
また、妥当な水準にある株、あるいは割安株でも、他に買いたいものがあるときは売ることもある。
より以上に割安か、あるいは同じような価値でも、彼がよりよいと判断した買い物があるときだ。
この投資戦略があっても、決して売らない銘柄が三つあるという。
W、GEICO、C/ABCの三社である。
一九九O年には、これにKが加わった。
これらの永久保有銘柄は、Pにとって子会社群と同じ水準の重要性を持つと考えられているが、このリストに入るのは並大抵ではない。
それに、それらはPが買ったときに、直ちに入れた、というわけでもない。
Wは二O年、GEICOは一八年保有しているし、Cを初めて買ったのは一九七七年である。
Kにしても、一九八八年に初めて買って、リストに入れたのは一九九O年だった。
これら四つの銘柄を買い入れたときに、これらの銘柄にはPが認める特性があった。
その特性を検討してみるのも意義があるだろう。
同社の主な業務には、新聞、TV、ケーブルTV、雑誌の四つの分野がある。
ケーブルTVシステムの分野では、中西部、南部、西部の一五の州で四六万三000の契約数を持つ。
そして雑誌出版では、国内三O万、国外七O万の部数を誇るニューズウィークを発行している。
これら四つの主要部門に加えて、W杜は、大学予備校、政府関係情報のコンピュータ・サービス会社を所有しており、さらにI(五O%)をはじめ多くの企業の株式を保有する。
一九九三年現在で、純資産三O億ドル、売上げ一五億ドル。
六O年前には新聞の刊行だけだった企業としては、驚くべき成長と言えよう。
Pが、同社の社主のC・Gに初めて会ったのは一九七一年で、その後、同社の役員として迎えられ、その年に同社は株式の公開に踏み切った。
一九七二年、株価は一月の二四・七五ドルから一二月には三八ドルと着実に上昇した。
しかし一九七三年に入り、ダウ平均は下降線をたどり、春までに一00ポイントを超える下げで九二一ポイントまで下げた。
同社の株価も、五月には二三ドルまで下がっている。
その噴、金価格が一オンス一00ドルを超え、FRBが公定歩合を六%に上げた。
この月のダウ平均の下げ幅一八ポイントは、月聞の下げとしてはそれまでの三年間で最大だった。
六月には公定歩合がさらに上げられ、ダウ平均は九00ポイントを切っている。
この間、Pは、静かにW社の株を買い進んでいた。
六月までに四六万七一五O株、平均買値が二二・七五ドルだから、総額一O六二万八000ドルにのぼっている。
社主のC・Gは、当初、この買いに警戒心を抱いた。
一族でない者がそれだけの多数の株を持つのに、抵抗があったのである。
同社の株はクラスAとBという二種類があり、公開したのはクラスBである。
クラスA株の株主が過半数の取締役を選出することになっていたから、経営権が左右される恐れはなかったが、彼女にとっては気になる事態だった。
そこでPは、Cに、自分の買いは投資目的であることを伝え、さらにPの持株については、彼女の息子で取締役のD・Gに投票権を委任すると申し出ている。
これを了承したCは、一九七四年にPを取締役に迎え入れ、その後、まもなく財務委員会の会長を委任した。
同社において、Pが果たした役割は広く大きかった。
一九七0年代のストライキ・の際にはCを助け、D・Gには、経営者としての役割、株主に対する責任など経営者としての教育を授けた。
彼の影響は、その後のCとDの行動に色濃く反映されている。
D・Gは、会社の重要な目的を十分に把握していた。
彼は、「われわれは引き続き株主のための経営を心がけていく。
とくに、四半期や年聞の利益よりも長期の展望を重視する、長年の株主を主体の経営をしていく。
成功の尺度として、売上げや子会社の数を中心に考えることはない」と言っている。
そして、経費節減に努めることをモットーとし、資金の使途についても厳格に対処していヲ令。
Pの祖父は、ネプラスカ州ウエスト・ポイントで新聞社を経営していたことがあり、父親も、地元新聞の編集長をしていた。
彼自身も、やはり別の地方紙の販売を手がけた経験がある。
というわけで、ビジネスの世界に入らなかったとしたら、Pは間違いなく新聞界に入っただろうとは、よく言われることだ。
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